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名古屋市・千種区・東区・アレクサンダーテクニーク教師河野の「見直すブログ」

アレクサンダーテクニーク教師会正会員、河野広昌のブログです。 自分自身の考えを見直し、気づいたことや活動内容を綴っていきたいと思います。レッスンは千種駅前の教室で。

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久々のブログ・・・

昨年会社を辞めてからというもの、ちょこちょこバイト君などやりながら生活しておりますが、最近はイベントの撤去作業とか店舗設営作業とかそういったいわゆる力仕事もたまにやってます。
そういう仕事をやってみて思ったのは、FMアレクサンダーが言っているPosition of mechanical advantage、機構的に有利な姿勢というのが自分を守るのにとっていかに大切かということです。

長い時間の肉体労働なんぞやっていると、無駄な動きをやっているとほんとにしんどくなってしまうだろうなと思います。
アレクサンダー学徒としては学んだことをフル活用して、できるだけ機構的に有利に動けるように考えながら仕事しています。周りの人はヒーヒー言ってますが、相対的に考えると自分はわりとヒーヒー言わずに働けてます。

仕事しながら「どうやって動いたら効率いいかなー」とか、「この仕事を楽にさっさと綺麗に片付けるにはどうしたらいいだろうか」と一瞬考えてからやり始めてみたりしています。

自分自身を守るために機構的に有利に動くしかない、という状況があると非常に勉強になります。

FMさんも農民だったり、いろんな仕事を経験したりしてきたわけですが、肉体労働という経験がワークの中にふんだんに生かされているでしょうね。
自分にとって今必要な学びが起きてると思います。

「こうやると楽だなー」とか発見すると結構嬉しい笑

単純労働と言われる仕事にも、深い知恵が必要なんだなーと改めて思い直しているところです。
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先月発売になったFMアレクサンダー著「建設的に意識調整するヒト(原題:Constructive Conscious Control of the Individual)」徐々に読みすすめています。


↑これが日本語版です。
http://www.fubaisha.com/search.cgi?mode=close_up&isbn=5345-4

全編に渡って「感覚的評価」について書かれています。
大昔は、無意識のまま生活していても、文明がそんなに発達していなかったので満足に生活できていました。
しかし!文明が徐々に発達すると、職業上いろんな難しい動きが求められたり、社会の約束事が増えていったりと、どんどん社会の要求が増えていきます。
その中で人類の「肉体的側面」に関してもどんどん衰えていく・・・

その割には「精神的側面」の発達は進んでおらず、肉体的衰退を、「肉体訓練」で補おうとしている・・・
そしてそれは、自分自身が正しいと、信頼できると感じている「感覚的評価」に基づいて行っています。
「いい感じ」とか「悪い感じ」とかを評価しているその人自身の「感じ」がそもそも信頼できないのに、自分の肉体的衰退を、「特定の訓練」つまりある限定された部分を訓練するようなやり方で解決しようとして、結果的に「全般的な協調不全」に陥ってしまう・・・
そんな事例が「肉体訓練」に関してだけではなく、いろんな状況について「実例」として載っています。


とにかくなんでも「やる」のがいいことのように思われている昨今ですが、FM氏はすでに100年前からそれはよく考え直したほうがいい・・・というふうに指摘しています。
一節紹介すると・・・

「根本的な欠陥を奥に秘めていれば、誰でも心身で起こす欠陥や不全や奇癖となり、それは不全でありたいてい妄想的な感覚的評価にあるので、ある時点において、そうした状況を修復しそんな感覚的評価を再びいくらか信頼できる指導に戻すまで、あらゆる訓練は積極的な危険となるからだ」

「あらゆる訓練は積極的な危険となる」というのは、すごい言葉ですね。しかしたしかにそう思います。
これは何も肉体訓練だけなく、なにか知識を得るための勉強や、スポーツ、音楽、ダンスなどなど・・・あらゆることに当てはまる金言だと思いました。

FM氏の本は続々とATJ翻訳チームによって翻訳されていますので、ぜひどなたでも読んでいただきたいです。
FM氏の文章は癖が強いと評判なので、読みづらさを感じるかもしれませんが、現代の文明社会で安全に生きていくための言葉が盛りだくさんです。

ぜひ、ご一読ください~。
以前ゴルゴ13を読んだときにこういう話があった。

「ある橋の上を通る電車に、国家の要人が乗る予定がある。
その橋を通る瞬間にテロリストがその橋を爆破し、要人を暗殺する計画があると知った依頼者は、
それを防いで欲しいとゴルゴに頼んだ。

その爆破を止めるためには、端から垂れ下がる細い爆弾の配線をライフルで打たなければならない。
依頼者は念のためゴルゴとは別のスナイパーにも依頼をしていた。
どちらがその配線を切ることができるのか・・・

ゴルゴとライバルが現場に向かう道は荒れたサバンナの道で、ジープが揺れまくるような道だ。
ゴルゴとライバルは現場に向かって争うように飛ばしていくが、ゴルゴは現場の近くで車を止めて車から降りてしまう。
ライバルは「馬鹿な奴だ」と思い、先に現場に行けるから「この仕事はもらったな」と調子に乗る。

そしていざ現場についたあと、ライバルはライフルで配線を狙うが、ジープの揺れによってライフルの照準が狂ったせいで何発も外してしまう。
そしてそのうちテロリストに居場所を捕まれ逆に撃たれてしまう。

その後にゴルゴが現れ、一発で配線を切った上に、相手のテロリストも倒してしまう。
(強すぎ)

ゴルゴは現場に着く前に何をやっていたのか・・・
それは「ゼロイン」と言ってライフルの照準と銃口の一致を調整する作業だった。

ライバルは自分の腕を過信するがあまりに、基本的なゼロインの作業を怠る。
しかしゴルゴは丁寧にゼロインを行ったから狙撃に成功した。

そしてゴルゴは「どんな腕を持っていても、ゼロインをせずに仕事をする勇気は俺にはない」と言い放ち、ライバルは息絶えた・・・」

ライバルは腕は超一流だったかもしれないが、銃の「調整」を怠った。
調整されていない銃でどれだけ一生懸命「やった」としても、それはうまくいかない。。。
ライバルは結果をすぐ得ようとするあまり、命を落とす結果になってしまった・・・
ゴルゴは手段を吟味して仕事に臨んだから結果を手にした・・・
(まぁ現実離れしてるけど・・・笑)

さすがゴルゴ・・・
常に理知的だ・・・(初期のゴルゴは結構ピンチになるけど)

『潜在意識が許されると、我らの常識は一時停止になって均衡は乱され、このように、狭められた側面となれば有効性は失われる。従って、我らがともに発展する未来へ向かいたいならば、潜在意識的な指導を差し控えて、理知的で意識的な指導に取り替えなければならないし、そうすれば安全に護られて、我らは異常な環境や決定的瞬間においても上手くやれる』
人類の最高遺産 p230、FMアレクサンダー著

とFMさんは言っている・・・


ゴルゴは殺し屋だという問題はあるが・・・

ポリティカルコレクトネス:政治的正当性と言われますが、どんなにおかしなことでも「正当」だと決まったらそれ以外は正当じゃなくなってしまう、道理すら妨げてしまうのがポリコレ。
そして人の意識を限られた枠内に収めておくための思想装置がポリコレ。

correctnessっていったって、勝手に「正当」だなんて決めないでよね。

ある価値観を正当であると押し付けて、それに従わない者は正しくないとするなんて、根っこはキリスト教の異端審問と同じでしょ。
日本は多神教の国なんだから誰が何を言ってもいい。
けどみんなで話し合って決めようよという世界観だったはずなのに、「空気よめ」とかから始まってポリコレが蔓延している。。。
というか自分がすごくポリコレに縛られている。
ポリコレに染まったままではこのFM氏のワークは習得できないですよね。。。
人間の意識を自在に使うのがこのワークなので、限定されていては一向に習得できない。
FM氏も著作を書いた時にはかなり批判されたらしいです。
多分当時のポリティカルコレクトネスではなかったために叩かれたのでしょう。

なにに基づくかといえば政治的正当性とかじゃなくて、観察された事実かどうかですね。
政治的正当性だなんて嘘でもなんでも力を持ったものが正当だと決まったんで、と言ったらそれ以外は正当じゃなくなってしまうわけだから。
正当の反対は不当なのか?よくわからんけどとにかく正当と非正当の分割統治ですね。

だからってべつに相手を傷つけていいとか嘘ついていいとか本音なら何を言ってもいいとかそういうこと言ってるわけじゃないのであしからず。
配慮は必要だとは思います。

それでも脱ポリコレ。

FMアレクサンダーが著した第一作目「人類の最高遺産」の中にこんな記述があります。

以下長いですが引用。
(ざっくりまとめると、意見の違う二人がいた場合に、どちらも相手の主張を認めるような行為をすることはないし、それが原因で多くの害悪がもたらされてますよ、ということです)

「A氏は根っからの自由貿易主義者とし、一方のZ氏は保護貿易主義にこれ以上持てないくらいの確信と申し分ない可能性を見出しているとし、両者がこの論点で議論している常用を想定しよう。するとすぐさま、A氏が話している際には、Z氏のしている努力は限定的であり、揚げ足をとろうとしているか相手の論理的な過ちを探そうとしているかのどちらかで、一方、Z氏の話す際にA氏の取る態度も寸分たがわず同様なことに気がつくだろう。どちらの党派も自分の主張を変更する糸などナイに等しく、相手の提出している事実や論理を受け入れる素地もありえず、何を言っても無駄であろう。・・・中略・・・もし仮に部分的にせよ彼らの知が正常な感受性を持ち新しい考えを受け入れられるならば、以前の概念と新しい考えが対立していたとしてもできそうなものだが、そこが麻痺状態になっているわけで、ということはすなわち、知は閉ざされ動作しなくなっている。・・・中略・・・残念ながら、政治的な課題にのみ固定された習慣的な心が発揮されるのではない、すなわち、我々の日常生活における全ての考えと行動に及んでいると証明でき、習慣的な心が原因となって多くの害悪をもたらしていると論証できる。」


今後の日本において「改憲派」と「護憲派」という言葉が、「保護貿易」と「自由貿易」に取って代わり、上記の文章がそのまま当てはまるような状況になっていくような気がします。
今回の選挙結果が表しているのはそういうことかなと、、、
FM氏は、上記のような状態になっている人は「開かれた心(open mind)」がほとんどないとしています。

開かれた心がない状態とは「どんな証拠を持ってこようとも私の意見を変更するのは無理だ」という態度のことだとしていて、新しい証拠によって自分の意見を変えられる場合には変えるつもりだ、という態度があることが開かれた心のある状態としています。

今後大勢的には改憲に向かうでしょうが、護憲派と改憲派の間の分裂を煽るようなプロパガンダなどが徹底的に行われるのではないかと。
この案件そのものが「分割統治(divide and rule)」の原則に基づいて利用されることになると思います。
それは政治レベルでなく日常レベルで人々の間に浸透するように、つまりあらゆる場面で分割されるような形で運用されるのではないかと危惧します。
(それによって体調を崩す人などもでてくるのではないかと思います)

今こそ、FM氏の著作にある意味が本当に大切になっていると思う昨今です。
対立軸を作り、人々を「A vs Z」の枠組みの中でしか物事を考えられないようにすることそのものが、マインドコントロールなのだと気づかなければいけないと思いました。

プロフィール

HN:
河野広昌
年齢:
34
性別:
男性
誕生日:
1986/02/08
職業:
教師
趣味:
音楽演奏、歴史研究
自己紹介:
一般社団法人アレクサンダーテクニーク教師会認定のアレクサンダー教師です。
母校アレクサンダーテクニークジャパンは2018卒業予定です。(意識調整教師コース)
名古屋市千種区にあるアレクサンダーテクニークジャパン(ATJ)の教室にてレッスン可能です。
住所:名古屋市千種区内山3-25-6 千種ターミナルビル901

個人ワーク、出張ワークなども承ります。
レッスン希望の方はご連絡ください。
TEL:080-3232-6128
Mail:kotti007@gmail.com

詳しくは中日本アレクサンダーテクニーク教室ホームページをご覧ください。
https://nakanihon-cc.jp


私の所属しているトレーニングスクールであるATJは以下を大切にしています。
 ・創始者FMアレクサンダーの著作・思想に基づいたワークを行うこと。
 ・ボディワークとしてではなく、環境も含めた人間性全体を視野に入れた全人的ワークを行うこと。
 ・STATなどの国際基準に基づいた1600時間を超えるトレーニングを受けた教師であること。

FMアレクサンダーの提唱した「Conscious Control(意識調整)」を追求したワークを実践しています。

現代の大問題である「電磁波障害」に対しても、対策・問題解決のご相談にの-れます。
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